2003年 チェンソーアート 
アメリカ滞在日記 夏編

その8
シッピンズバーグコミュニティフェア2003
2003年7月20日〜7月27日
再編集日:2005年7月5日

再編集
CHAINSAW ART JAPAN
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シッピンズバーグで事前に掲載された新聞記事

7月20日
  結局、ナイアガラにいながらナイアガラの滝を見ることなく、朝9時、5日間お世話になった会場を後にし、次のフェア会場、ペンシルべニア州シッピンズバーグに向かう。地図を見ながら、約350キロ南下する。アメリカは道の名前、標識、方角がしっかりしているのでわかりやすいが、なぜか迷ってしまった。夕方、リッジウエイを通ったのでリック&リズを訪ねるが、やはり彼らもカービングショーの旅に出ていて留守だった。フィビー(犬)とお母さんが留守番をしていた。
RVパークに宿泊するつもりだったが、受付が閉まっていたので、幹線道路沿いのホテルに泊まる。11日ぶりに電話回線をつないでメールのチェック。38日ぶりに湯船に浸かった。あ〜お風呂っていい!!!今回宿泊したホテルは「ホリディイン エキスプレス」1泊2名で約80ドル。素晴らしい。

7月21日  ぐっすり10時近くまで眠ってしまってあわてて飛び起きて出発。途中、リックさん御用達のチェンソーショップ「ラリーズソーショップ」で木回し、予備のチェンなどを買う。大きな町をいくつか越えて夕方シッピンズバーグに到着。このあたりは農場地帯でのどかな雰囲気だ。キリスト教徒の一種で、電気や車など使わないで自給自足の生活を営んでいるアーミッシュの人々も少しだが住んでいるらしく、道路標識に馬車のマークもある。会場がどこかわからないので、とりあえず、夜はRVパークに宿泊。(写真はその受付オフィス)やっとダンプ(トイレの排出物を捨てる)ができた。先週来満杯だったためトイレが使えなかったがこれで、安心。水も使えるので料理やシャワーも使える。やっとキャンピングカーの機能が回復。この日、ビール屋がわからず、苦労して見つけた。
7月22日  午後、会場になんとかたどり着く。会場はそんなに広くないが、農場地らしく、品評会用の豚や牛などの家畜がいっぱいいる。やはりさまざまなアトラクションの遊具もあるが、カナルフェステバルに比べると、素朴な村祭りといった感じで、会場内で酒類の販売はなく、持ち込みも禁止で、食べ物の出店も専業屋台のではなく、教会やボーイスカウトが運営していてちょっと真面目な感じのフェアだ。
カービングサイトに用意されていた木は、直径80センチのピッチパイン(日本の赤松?)節だらけのホワイトパイン、あとは、レッドオークが数本、長いまま転がされていた。それらをカービングできるサイズ(1時間のショーで仕上げられるサイズ)にカットし、使えないオークは邪魔にならないよう移動した。この作業は非常に大変。すべての木がコンペティションサイズでめちゃくちゃ重い。木回しがさっそく役に立った。そして観客用にショータイムのスケジュール看板を彫る。今日はショーが無いため、会場をゆっくりと視察。日本で言うとたぶん県の森林部署のような所がPRしているトレーラーがあって、その中には様々な木のPRが施されている。恐ろしく回転が速い観覧車に乗って写真をおさえる。

7月23日 となりの会場でクラフト展が開催されているらしく、午前中から多くの来場者がある。
11時が最初のステージ。まずは肩慣らしにパインでイーグルヘッドを彫る。地元の新聞社に取材された。 (新聞アップ) 表紙写真 そのアップ 関連記事
3時、初日2回目ショーではログキャビンを作る。80センチ経のピッチパインのハーフで作った。今まで作ったログキャビンの中で一番凝ったデザインとなった。これも新聞の取材を受けた。
ジョージアから自宅に帰る途中のジェンが寄ってくれた。このフェアはマスターズオブザチェンソーにとって初めてのフェアだそうだ。一生懸命やって今後もこのフェアでの仕事が取れるようにしなければ。
3回目のショーは5時スタート。フェアの最終日には馬のオークションがあるので馬を彫って欲しい、ということでを彫る。顔だけだが大きく彫ったので迫力がでたと思う。
8時、4回目のショーがスタート。今日最後のステージ、小さいフクロウを彫る。夕立の中、多くの観客が見てくれた。終わった後の拍手が嬉しい。

7月24日  レストランに朝食を食べに行くと、3〜4人の若いアーミッシュの女の人達が何人かの子供を連れてきていた。 みな同じ無地の手作りの服に白い帽子という出で立ちだが、生き生きとした表情が印象的だ。
今日は12時が1回目のステージ。飛んでいるイーグルを彫る。今日は昼間は他のアトラクションはお休みなので観客はまばらだが、みんなチェンソーアートを目当てに来てくれたようだ。嬉しい。
2回目のショーには少々時間があるため昨日の作品のログハウスに着色したりして少々仕上げをしたりして過ごす。
2回目は5時からのステージ。どこでも人気のあるクマを彫る。アメリカ人男性と結婚してこちらで生活しているヨシコさんが子供さんを連れて見に来てくれた。この辺は日本人はもちろんアジア系の人はほとんど住んでいないそうだ。自分たち以外の日本人とひさしぶりに話せて嬉しかった。
3回目の7時。枝分かれしているブラックウォールナッツで三匹のアライグマを彫る。木の面白さをだそうと幹はあえてそのままにしてみた。
ラストは9時。一番観客の多い時間帯だ。数少ないホワイトパインでリスを彫る。いままでピッチパインとブラックウオールナッツだったので、柔らかい木がありがたい。リスも今回草と木をセットにして時間内に彫り上げた
担当のロイが来て、新聞にチェンソーアートの記事が載ったので問い合わせの電話がひっきりなしに鳴って嬉しい悲鳴だよ。と言っていた。

7月25日  朝から快晴。キャンピングカーにこのフェアの会長さんが訪ねて来た。自分の出身大学のシンボル、アメリカンライオンを是非彫って欲しいという。もちろん快諾。
今日の1回目も同じく12時。ロイのリクエストでハウンドドックを彫る。彫った事のないものを彫るのは楽しい。
2回目は5時。少し時間があるが刃を研いだりしているとあっという間にショーの時間になってしまう。ウエルカム看板を持ったクマを彫る。
3回目は7時。会長オーダーのアメリカンライオンを彫る。初めて彫ったが楽しかった。会長がまたやってきて、できばえを讃えてくれた。オークションでは必ず自分が競り落とすと言っていた。
9時、シッピンズバーグ最後のステージは、日本人カーバーが来たという事で 新聞にも取り上げられたので、なにか日本ぽいものを一つ彫っておこうと思い人気がある「龍」にした。
10時、3日間各4ステージのショーが終わった。この辺りでは初めてのチェンソーアートのショーだったようだ。多くの観客が楽しんでくれ、明日のオークションを楽しみにしている。
(オークションの売上は全てイベント主催者のものとなる)
7月26日  私たちのチェンソーアートのショーは昨日までだがフェアは今日が最終日。今日の6時から作った作品のオークションが行われるのでそれをみてから帰る事にした。
今回のショーは、全ての作品は主催者のものとなるが、出演料はMASTERS OF THE CHAINSAWに入る。主催者は全ての作品をオークションにかける。場合によっては支払った出演料以上の売上を主催者は手にすることができる。だから「マスターズ・オブ・ザ・チェンソー」は信頼できるカーバーをこのようなショーに派遣する。今回初めて、ケイジはこのようなショーに出演させてもらってその責任が果たせたかどうかこのオークションにかかっている。
チェンソーアートが初めてという土地柄でどのくらいの金額になるか不安だったが、多くの人が会場に詰めかけてくれて、結果的には、いただいたギャラより600ドル以上多い売上となった。 やはりクマ
が人気で350ドル以上になる。小さくてもリスは定番で250ドル、アメリカライオンはねらい通り会長が落とした。しかし、競る人が少なかったため280ドルだった。一番の高値は予想通りアライグマで475ドルだった。逆に値が付かなかったのはハウンドで、75ドルだった。自分としてはまずまずのできだったのだが、仕上げのバニングや色付けがしてなかったためか、土台に加工をほどこしていなかったためか?納得がいかない。
当初、冷たい態度だった某スタッフも、満面の笑みで「是非来年も来てくれ」と言ってくれた。
最後に、イベントオフィスへタナワンダで彫って売れ残ったクマ(ブラックウォールナッツ)を寄贈する。このイベントのクイーンに手渡す。このシーンも新聞に載るそうだ。(記念撮影・写真男性がロイ)
責任が果たせた安堵感とともに7時半ころ会場を後にする。今夜中に、ジェンのところに帰り着きたかったが、とても無理だったので夜中の12時すぎにホテルにチェックイン。ショーをこなしたご褒美にお風呂につかる。今回の宿泊は土曜日であったため、少々高め。ホテルはハンプトンインというヒルトンホテル系のチェーン店で、非常に美しいホテルである。

7月27日  夕べは気が付かなかったが、私たちは間違ったハイウエイにのってしまっていたようだ。方角こそちがわないが、だいぶ遠回りになってしまった。ようやくあと3時間ほどでジェンの家に着くあたりで、突然、我がキャンピングカー「幸運号」の、エンジンルームから黒煙が立ち上った。路肩に緊急停止し、消火器片手にエンジンルームをあけると、ラジエーターホースが爆ぜ、オーバーヒートしたようだった。どうしようと思っていると、赤いスポーツカーが止まって、二人の男の人が降りてきてなにやら色々言っているがほとんど聞き取れない。そのうちに日本で言うと道路公団のヘルメットをかぶったパトロールの男の人が来た。どうやら彼らがパトロールの人を呼んでくれたらしいがお礼を言う間もなく二人は行ってしまった。道路公団の人は修理の人を無線で呼んでくれて、私たちが英語を話せないのを見て状況を書いたメモを修理の人が来たら渡すよう言って行ってしまった。とりあえずジェンに状況を電話し、ジェンが出発前に「故障や事故が合ったとき」にと渡してくれた封筒(中に車検証と保険証らしきものが入っている)と貴重品をキャンピングカーから持ち出し、他の車に追突されないよう安全な芝生の上で修理の人を待った。
 ハイウエイでの故障なので50キロほど手前のインターから修理の人はのってくるしかなくかなり待たされたが、やってきた修理の二人組は明るい朗らかな若者達で、困っているときに明るい笑顔を見ると安心する。彼らは実に手際よく楽しげにあっという間に故障を直してくれた。日本で言うとJAFであるが、アメリカではAAAである。
精算をすまし、彼らにお礼をいっていたら、突然、轟音とともに車が激しく揺れて目の前に看板のようなものが飛び散った。なんとトラックがキャンピングカーに当たったらしい。そのトラックはよくフェアで一緒になる、屋台のトラックで、壁面をあけるとすぐホットドック屋になるよう改造されている、その壁面部分が当たったようで、シャワールームに部品の一部が突き刺さって大きく穴があいている。トラックの運転手は3キロほど先にトラックを止め、高速道路上を走ってやってきてキャンピングカーをみるなり「オーマイゴッド」といってへたり込んでしまった。
ジム(修理の若者)は直ぐ警察を呼んでくれて、現場検証や事故に伴う様々な手続きを、私たちの代わりにやってくれた。再び「故障や事故に合ったとき用封筒」が役に立っしまった。故障も事故もないのに越したことがないが、幸いな事に誰も怪我をしていないし、キャンピングカーも問題なく動く。(トイレタンクに穴があいたんじゃなくて良かった)しかもジムという証人がいて色々助けてくれた事は、なんと幸運だったんだろう。写真は必要書類。
 ジェンの家にたどり着いた時には9時を回っていた。すっかり彼女には心配をかけてしまった。
夜12時、ブライアンがニューヨークのフェアから帰って来た。今日が10日間のショーの最終日だったそうだ。とにかく全員ひさしぶりに(ジェンとは14日ぶり、ブライアンとは18日ぶり、ザックはジョージアのおばあちゃんの家に滞在中で留守)無事に会えたことを喜び合った。

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