マスター ブライアンルース氏の作品集
日本でチェンソーカービングを教えたことはこれまでの私のキャリアの中で最もやりがいのある有益な経験でした。最初、東栄町で19人の生徒とチェンソーカービングの楽しみを分かち合い、そして彼ら生徒が最初の作品を仕上げた時に満面に浮かべた幸福感とプライドを目にすることは、アメリカ全土の往復遠征ツアーよりも、どんな大会での優勝よりもすばらしい出来事だったのです。そして最大の醍醐味はこれから生命を宿して飛躍するであろう大きな「動き」に私が関われたことでした。 皆さんが手にしているのは単なるチェンソーと木の彫刻ではなく、日本におけるチェンソーカービングの将来そのものなのです。 1979年に私がチェンソーカービングをはじめた時はたった1人のチェンソーカーバーしか知りませんでした。だれかの真似をしてコピーにはなりたくなかった私は、チェンソーカービングが、どういうものであるべきかという定義や、ルールを自分なりに決め、独自の方法で作品を作り続けてきました。 従うべき道がないというのは最大の自由です。しかし自分が作り上げた道にだれかが従いたい、と申し出てきて、自分が受け入れる決意をしたのなら重大な責任が伴います。 今日アメリカではチェンソーカービングという道がたくさんあります。たくさんの人がそれぞれに自分の道、方法がベストだ、正しいと主張しているのが現状です。 日本におけるチェンソーカービングは正しい、ベストな道をつくりあげるチャンスがあるのみの道なき原生林のようなものです。 私は一粒の種、「チェンソーカービング」という種を日本に蒔きました。「チェンソーカービング」はすでにこの国で急速に育ちはじめています。そしてこれからまだまだ伸び続けるでしょう。この種は私からのプレゼントであったかもしれませんが、これからどのように育てるか、成長に従い無駄な枝を切りつめ、形を美しく整えるのは皆さん次第です。 道を選び、道を作り、また後者の為に道を整備するのは彼らの仕事です。 私は皆さんが誠実で誇り高い道を選んでいくことに確信をもっています。その道は険しい道かもしれませんが、価値あるものは何事にも簡単には手に入らないものだと思います。 ここまでのみなさんの成長ぶりをみてて、きっと近い将来優秀なチェンソーカーバー、アーティストが誕生するのは疑う余地もありません。将来の素晴らしい可能性の一部に自分が関われたことを名誉に思います。 愛を分かち合うことを許してくださり感謝し、これからチェンソーカービングが日本でどのように成長していくかを楽しみにしています。 私はいつでもあなた方のそばにいて、役に立ちたいと願っています。 友人、ブライアンより
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